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さよなら神様 by 麻耶雄嵩

読書

 

さよなら神様

さよなら神様

 

 

 推理小説というカテゴリの中に新本格というものがあるのは知っているだろうか。「建物自体が回転する」のように舞台そのものをトリックとして扱ったりするいわば突飛な、現実味のないフィクション臭の強い作品群のことだ。当時その新本格といわれるものが出てくる前、国内の推理小説はどれもこれも社会派と呼ばれる動機を焦点としたホワイダニット(なぜ殺したか)が多かった。だからこそ社会派に反抗するかのように現れた新本格は動機を軽視し、ハウダニット(どうやって殺したか)やフーダニット(誰が殺したか)を重視する傾向がある。

 私は世代的にちょうど新本格が出始めた時期の人間であるので新本格にカテゴライズされる作品をよく読む。それらの作品の中ではまず当然ながら殺人なりの事件が起き、その事件には何かしらのトリックが仕掛けられており、そしてその小説の探偵役が論理的に推理し犯人を特定するという流れになる。

 今回読んだ小説、「さよなら神様」はそのお約束ともいえる流れを見事にぶった切る。本作は同じ作者の「神様ゲーム」の続編(といえば続編)であり、前作同様(驚くべきことに!)全知全能であり世界の創造主であるところの通称「神様」が登場する。前作「神様ゲーム」と違い今作は短編集だが、イケメンの小学生に身を扮した「神様」こと鈴木によって毎回毎回一行目で犯人が告発される。まさに掴みは完璧だ。しかし「神様」は犯人の名前しか教えてくれない。主人公たち少年探偵団の面々は自らの力でこの謎を解かなければならないのだ。彼らにとって「神様」が本当に「神様」であるかどうか確かめる術はない。よって推理は「神様」の言葉が真実であると確かめるため、もしくは真実でないと確かめるために行われる。

 と言っていると、なんとなく扱うモノは物騒でも和気藹々とした空気を感じるかもしれないがそんなものはカケラもない。なんというか、ひたすらにグロテスクだ。「神様」こと「鈴木」は善意で犯人を教えているわけではなく、「面白いから」という理由で人間社会に来ているのでこれも当然の結末である。巣穴から出てきた小さなアリが人間相手にはなす術がないのと等しく、神にとって人間は酷く矮小な存在だ。この作品を読んだ気持ちはたった一言で表せられる。それは誰しもが知っているひとつのことわざだ。「触らぬ神に祟りなし」。意味合いこそ変われど、世の中には関わらない方が幸せなことは多々ある、ということだ。